広島城
絶景園から広島城へ向かう途中
広島拘置所を通りました。
広島拘置所外壁190m 入野忠芳氏の壁画(部分)です。
gettengさんのブログで拝見した時も思ったけど
この壁面 中にいる方のお好みに合わせて描かれたんじゃないかと・・・(笑)
近くて見るド迫力!
とても大きくて立派な壁面でしたよ。。。
広島市の中心部に位置する拘置所の殺風景な高い塀を市民に親しまれるものにするために
広島城築城400年を記念して広島市が企画したものなのだそうです。
江戸期の本川沿いの風景を記録した絵巻物を下敷きに、当事の活気のある町の様子を再現し
生命力に満ちた巨大な鯨や鯉や龍なども配して広島の壁に相応しい生命賛歌の壁となっているそうです~~♪
なかなか素敵でしたよ(^-^)
そして向かうは「広島城」
ここも楽しみにしていたスポットでした。
なにせ私って、故郷白河の小峰城(ちっこいお城)しか見たことないんです。
福島県では有名な「鶴ケ城」さえも見たことがないんですよ~~アハハ
小峰城からぶっ飛んで「広島城」に行っちゃった~~ウフフ♪
迫力のあるお城でした(*^_^*)広島城天守東側から映した広島城です。
広島城は、広島県広島市中区基町にある城郭。鯉城ともいう。
国の史跡です。
広島城は太平洋戦争まで天守が現存していたが、
広島の原子爆弾の投下によって崩壊した。
1589(天正17)年、毛利元就の孫、毛利輝元のとき、それまでの毛利氏の本拠、
吉田郡山城が山間であり新しい時代に対応できないと感じ、
陸海の拠点であるこの地に10年の歳月をかけ築城した。
ところが城が完成した翌年、1600(慶長5)年に関ヶ原の戦いで
毛利氏は西軍の総大将として大坂城に入ったため、領土を削られ、
萩に減封移封されることになる。
あとに入封したのが、福島正則。だが正則も、1619(元和5)年になって、
徳川幕府の許可なく城の修築を行ったことを理由に除封され、
浅野氏が入封、明治まで続いた。(サイトより)
崩れた石垣です。。。
石垣には、あちこち文字が刻まれていました。
こんなに大きな大きなお城・・・
原爆の時は一瞬でこのお城が崩れたと言うのですから
そのエネルギーの恐ろしさとは。。。想像を絶するものだと想いました。
広島城二の丸、平櫓・多聞櫓・太鼓櫓・表御門
背景にある都会のビルにも感激でした。
田舎の景色ばかり見慣れてる私だから~~アハハ(笑)
そして 此処ここ!!この石垣
原爆によって色が変わってしまったそうです。
でも、説明の看板も何も無いんです。
gettengさんが教えてくださらなかったら素通りしてしまったと想います。
原爆の中でどんなに熱かっただろう・・苦しかったねって思いながら
この色が変わった石垣に触れましたょ。。。(@_@。。。
広島城では、被爆樹を見、触れることも出来ました。
gettengさんのvoicelessspeakerで、ずっと被爆樹のお写真を拝見してきて
想いを馳せていました。
広島で見た被爆樹の写真は、後日改めてアップしたいと思います。
広島の旅はとっても素敵な旅でした
この後で「白神社」に向かいます。。
此処で私、三組目の♂♀確認しちゃいましたよ~~~(*^_^*)
18日には宮島で4組目の確認となるのです(プッ!)参ったかぁ~~アハハハ♪
広島の旅の撮影はすべてGF1で・・・♪
by bluebrops_angela | 2010-11-26 07:07 | 旅行