北山原殉教地
山形県米沢市
北山原キリシタン殉教地を訪れました。
上杉景勝の時代、米沢ではキリシタンに対する迫害はそれほどではありませんでした。
(上杉景勝は、アンチ徳川で、キリシタンへの弾圧を強くはしなかったそうです)
しかし、幕府のキリシタン弾圧が強くなってきた1628年の夏、
上杉定勝によって、キリシタンたちへの迫害が厳しくなりました。
1629(寛永5)年1月12日、雪に覆われた米沢の北山原、糠山、花沢の3か所で、
53人のキリシタンたちが、その信仰のために自らの命を捧げました。
米沢の殉教者のほとんどが武士でしたが、
その中には彼らに仕えていた人たちや、農民も含まれていました。
その年齢は、1歳の幼児から老夫婦までだったそうです。
北山原は上杉藩の刑場でしたが、1669年に刑場が松原に移されたため、
この地におけるキリシタンの殉教は忘れられていました。
1927年に赴任した、神言会のヨセフ・シェンテック神父の努力によって、
北山原や糠山などの殉教地が確認されました。
1929年には、殉教300年を記念して碑が建てられました。
現在、大樹の下に石造りの十字架が立てられ、
その十字架上に等身大のイエスの像、
両側に等身大の聖母マリアと
使徒ヨハネの像が立っています。
このイエスと聖母マリア、使徒ヨハネの像は、
ヨセフ神父の母国ポーランドから送られたものです。
1964年、無足町の甘糟右衛門屋敷跡と思われる場所で発見された十字架の彫られた石が、
この殉教地に移されました。
by bluebrops_angela | 2010-10-21 08:27 | 教会