大聖堂から名勝・縮景園へ♪
平和記念大聖堂は原子爆弾の被害を受け
現在の位置に移されたそうです。
逆光で見えにくいのですが、手前のミラーの所にあるのが
被爆を受けた当時の門です。今は裏門になっているようです
玄関の扉は
「平和への門は隣人愛である」
この手で触れてみると、温かいぬくもりを感じるようでした。
ずっと此処にいたい。。って想いを引きずりながら
次の目的地「名勝・縮景園」へと向かいます。
途中、原爆の子の像佐々木禎子さん(原爆による白血病で死去)が
通った小学校にある「折り鶴の碑」に鶴を捧げてお祈りしました。
ヒロシマのあちこちには祈りの場が沢山あり
そのことにもまた感動しました。
いつかはきっとヒロシマで祈りを捧げたいって願いを
ずっと持っていました。そんな願いを叶えられた3日間でした
~~~~名勝 縮景園~~~~~~~
縮景園は元和六年(一六二〇年)広島藩主 浅野長晟が別邸として築いた廻遊式庭園である
作庭者は茶人としても知られていた家老 上田宗箇であるが後の天明の頃(一七八三年~八八年)藩主 重晟が時代の趣好に合うように京都から名工を招いて修造させ ほぼ今日の規模となった
園の広さは約四万平方米 景観はどこから眺めてもよく中国杭州の西湖に似ているという
幾多の勝景を縮めて表現している点に本園最大の特色がある そのため縮景園の称が生じたと云われ古くは御泉水又は泉邸とも呼ばれていた
中央の大きな池は濯纓池 中心をつらぬく石橋が跨虹橋といい自然と人工の美の対照を示している その左右には十余の島々が浮かび周囲にはかずかずの山渓 橋 樹木 田圃がたくみに配置され それぞれ雅名が付けられている
日清戦争のとき大本営副営となったことがある
昭和十五年 浅野家から広島県に寄付され同年 国の名勝に指定された
昭和二十年八月六日 原子爆弾の投下により壊滅状態となったが広島県では鋭意復旧整備につとめ多くの方々から名勝庭園として親しまれ 今日に至っている
この日も花嫁さんの姿がありました。
久しぶりに見る花嫁さんでしたよ~~!(^^)!
この絶景園も、原子爆欄の投下によって壊滅状態になったのですね。。。(@_@。。。
都会の中にある、静かな空間でした。
素敵な所でしたよ~~♪ 紅葉もとても美しく目に映りました。
gettengさん 重ね重ね本当にありがとうございます♪♪♪ 11月17日
この後で、広島城に向かいます。。
素敵なお城でした。被爆樹にも触れることが出来ました。。続く。。。
by bluebrops_angela | 2010-11-24 07:07 | 教会